隊商の記憶を岩肌に残す、薔薇色の砂岩に彫り抜かれた峡谷の都。
シークと呼ばれる狭い裂け目を抜けると、ファサードが朝日を浴びて立ち上がる。
ナバテア人が2000年前に遺した、岩と陽光の劇場である。
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砂岩を彫った隊商の都
ヨルダン南部の乾いた高原に、紅と橙の縞を帯びた砂岩の山塊が連なる。古い海と砂漠の層が重なり、風と稀な豪雨が割れ目を広げ、深い谷と切り立った壁を残してきた。岩の色は鉄分の濃淡が長い時間をかけて染め出した。
紀元前4世紀、アラビア半島から北上したナバテア人がこの地を交易の結節点に選び、住居も神殿も墓も岩盤を直接削り出して築いた。乳香・没薬・香辛料を東から地中海へ運ぶ隊商路の中継地として、街は岩そのものから立ち上がった。

岩盤に刻まれた王朝
ペトラの建築は積むのではなく削る。柱も破風も内部の聖室も、生きた砂岩の塊から鑿で取り出された外形である。代表作アル=ハズネは高さ約39メートル、二層の列柱と神々の浮き彫りが壁面と一体のまま残る。
乾いた谷筋に水を引き、貯水槽と導管を岩盤に隠して街を機能させた水利の体系も、この場所固有の知である。砂漠の只中で果樹園と人口を支え、交易の富がやがて衰退すると、街は岩の懐に沈み長く忘れられていた。

裂け目の先に立つ朝
ワジ・ムーサの細い裂け目を進む。両側の壁は高く切り立って日射を遮り、足元にはひやりと涼しい風が下りてくる。1キロを過ぎたあたりで前方が縦に開き、その奥に薔薇色のファサードが垂直に切り取られて現れる。
朝の光は壁を淡い桃色に温め、正午には縞の橙が強く前面に立ち上がる。日が傾けば底は群青に沈み、対面の岩肌だけが赤銅の照りを長く残す。乾いた風が砂を運び、往時の靴音にかわって旅人の足音が薄く反響していく。
日本からの行き方
日本からペトラへの直行便はなく、ドバイやドーハ、イスタンブール、アブダビといった中東のハブ都市で乗り継いで首都アンマンへ向かう。多くのツアーは成田や羽田を発ち、機内で一夜を過ごして翌日に現地入りする日程を組む。なお中東情勢により渡航前に外務省海外安全ホームページで最新の危険情報を必ず確認したい。
アンマンからペトラのあるワディ・ムーサへは、砂漠の高速道路を車で南下し、片道半日ほどの陸路となる。道中には荒涼とした台地が続く。穏やかな気候で岩肌が陽に映えるのは春(三〜五月)か秋(九〜十一月)で、この時期に行程を組む周遊が多い。
入場と予約
遺跡へはワディ・ムーサのビジターセンターを通って入る。入場券は窓口で当日購入できるほか、公式サイトで日付を指定して事前購入もでき、混雑期は窓口の列を避けられる。時間枠制ではない。複数の遺跡を巡るならジョーダン・パスにペトラの入場が含まれ、こちらは入国前の購入が条件となる。
健康と安全
遺跡内は日差しを遮る木陰が乏しく、夏場は気温が大きく上がる。シークから奥の修道院まで岩段や砂礫の長い徒歩が続くため、歩きやすい靴と十分な水を備え、朝の涼しい時間に歩き始めたい。最寄りの総合病院はワディ・ムーサにあり、入口から車で十数分の距離にある。
現地の設備
ビジターセンター付近に手洗いと飲み物があり、遺跡内にも売店やカフェ、食堂、ベドウィンの茶店が点在する。宿や食事はワディ・ムーサの町に揃い、入口まで歩いて行ける宿も多い。
モデル日程
ヨルダン周遊8日の一例。往復の移動に各1日、ペトラのあるワディ・ムーサに連泊し、前後に死海とワディ・ラム、ジェラシュを挟む。
- 移動 2日
- 死海・モザイク 1日
- ペトラ 2日
- ワディ・ラム・ジェラシュ 2日
- 帰路 1日
内訳
往路
死海・モザイク
ペトラ
ワディ・ラム・ジェラシュ
帰路
主要旅行会社の同方面ツアーに見られる標準的な組み立ての一例。日数・順序は商品により異なる。














































