アドリア海が陸の奥へ深く切れ込み、灰白の岩壁が水際まで迫っている。
朝の湾は凪いで山影を映し、日が回るにつれ水の色をゆっくり深めていく。
壁は町を囲うだけでは足らず、背後の崖を伝って空へ登っていった。
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沈んだ谷の果てに
アドリア海の入口から28キロメートルほど、湾は幾度も折れながら山あいへ分け入っていく。氷河が削ったフィヨルドとよく比べられるが、成り立ちは異なる。かつて川が刻んだ谷が沈み、海水が谷筋をそのまま満たした地形である。
両岸をなすのはディナル・アルプスの山塊で、稜線は1700メートルを超えて水面から立ち上がる。町は入り江の最奥、海面すれすれの狭い土地に押し込められた。平地が足りないぶん、防御は背後の斜面を登るほかなかった。

この湾が育てたもの
城壁は総延長およそ4.5キロメートル。町を囲う部分は水際に低く伏せるが、そこから尾根へ折り返し、標高260メートルの砦まで駆け上がる。海に開いた町を守るだけでなく、頭上の高みを敵に渡さないための造りであった。
809年、海を渡ってきた聖トリプンの遺骨がこの港に迎えられた。船乗りたちはその年に組を結び、以後どの支配者が代わろうと解かれることはなかった。祭日の隊列は今も聖堂前に並び、輪になって舞う。海に出る者の信心が、絶えず手渡されてきた。

水面が遠のくまで
砦へは1350段の石段が続く。登るにつれ町は足元で縮み、屋根の連なりは細かな粒へ変わっていく。石は不揃いで日陰も乏しく、じきに息が上がる。立ち止まって振り返れば、風が岩の間を抜ける音のほかに聞こえるものがない。
湾の水は高度を上げるほど色を深め、対岸の集落が模型のように並ぶ。朝のうち、路地には荷を運ぶ音と鐘の音しかない。大型船が入る昼は人波が門から溢れ、夕刻に船が去ればまた静けさが戻る。同じ路地が、日のうちに何度も表情を入れ替える。
日本からの行き方
日本からモンテネグロへの直行便はない。イスタンブールやドバイなどの主要都市で乗り継ぐのが一般的で、乗り継ぎを含めると片道はおよそ二日がかりの旅路になる。クロアチアやバルカン諸国を結ぶ周遊行程の一区間として訪れる旅行者が多い。
最寄りはコトル湾に面したティヴァト空港で、旧市街までは車でおよそ20分と近い。クロアチアのドゥブロヴニク空港から国境を越えて陸路で入る行程もある。街歩きには春と秋が穏やかで、盛夏はクルーズ船の寄港が重なり町なかが混み合う。
入場と予約
旧市街は自由に歩けるが、城壁と山上の砦は有料で、町の門にある窓口で入場券を求めてから登る。予約制度はなく当日券のみで、料金の徴収は日中に限られる。夏場は窓口が混み合うため、朝の早い時間に登り始める旅行者が多い。
訪問時の留意点
- 服装聖トリプン大聖堂をはじめ宗教施設では、肩と膝の隠れる服装が求められる。
健康と安全
砦へ続く石段は1350段におよび、幅も高さも不揃いで手すりのない区間が長い。日陰が乏しく、夏の日中は照り返しで体感の暑さが増す。歩きやすい靴と十分な飲み水を備え、朝夕の涼しい時間に登ると無理がない。医療機関は湾沿いの市街に揃う。
モデル日程
バルカン周遊9日の一例。ドゥブロヴニクから国境を越えて南下し、湾の奥のコトルで2連泊して旧市街と砦を核に据える。
- 移動 2日
- ドゥブロヴニク・南下 3日
- コトル 2日
- 帰路 2日
内訳
往路
ドゥブロヴニク・南下
コトル
帰路
主要旅行会社の同方面ツアーに見られる標準的な組み立ての一例。日数・順序は商品により異なる。
